今日の一枚は私にとって、とても大切な一枚です。
アンドリュー・シンキンソン先生とのレッスンの一コマですが、
実は、いつ撮ったのかよく覚えていません。
たぶん、レッスンを終えて(というのも練習着を着ていないから)コーヒーをご馳走になっている時に
呼ばれて踊ったあの時かな~ と思うのですが、’95~’96年頃のものだと思います。
アンドリュー先生と私たちの出会いは、1988年の名古屋インターの時が始まりです。
アンドリュー・シンキンソン&ロレイン・バリー組は、その年の日本インターのアマチュア招待選手でした。
名古屋で初めて彼らの踊りを見た時の衝撃を今でも忘れられません。
まるで彼ら一組だけが別の世界にいるような、彼らにだけ別の時間が流れているような、
本当に見たことも無いような ”Fantastic”な世界でした。
私たちはすっかり魅了されてしまい、「いつか、このカップルに習いたいなア~」と強い憧れを持ちました。
それが実現したのは以外に早く、翌年の事でした。
大阪MW(私たちの所属する技術団体)でアンドリュー組を招聘してレッスンを行うことに なったのです。
私たちは卒先してお世話係を申し出て、そして、たくさんのレッスンを受けることができました。
アンドリュー組は、あの”Fantastic”なダンスからは想像できないほどフランクで人懐っこく、やんちゃ坊主で
私たちはすぐに意気投合してしまい、その関係は二十数年経った今も変わらず続いています。
アンドリューはその後何人ものパートナーと組み、私たちもその間ずっとレッスンを受け続けてきましたが、
レッスンの写真はこれ1枚きりです。
その頃は今のように、携帯で写真を撮ることも出来なかったので、
この写真は私にとってとても大切な一枚です。
私たちは2000年に選手生活にピリオドを打ち、現役選手を引退いたしました。
1999年4月にビギンダンス教室より独立し、ここ天満橋にスターダンススクールを設立いたしました。
もう、15年も前のことです。
教室をオープンした年は何かと忙しく、競技の方はほとんど出場しませんでした。
2000年は選手会の役員(大阪支部長)をしていた関係で、選手会活動のみをしていたので、
私たちの中では引退は1999年という気持ちが強いです。
ですから、私たちの選手時代の思い出はビギンダンス教室とともにあるわけです。
今回の写真集は、選手時代の終わりのころ、1998年~1999年ころのものです。
競技会、パーティ、色々な思い出のシーンを振り返りながら、
15年前の私たちをご紹介いたします。
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ビギンダンス教室のサマーパーティー、種目はクィックステップだったと思います。
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背番号が付いているので、競技会だと思います。’98年頃
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ライティングがとても素敵な一枚。’99年頃
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ブルーは私の大好きな色、ブルーのドレスが多いです。
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パーティーでのゲストデモの時。’99年12月
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スターダンススクールの教室にて、初めてのクリスマス・パーティー’99年
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グリーンのライティングでワルツの一コマ、’99年の頃は白と黒に嵌つてました。
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’99年4月教室が出来てなくて、練習も出来ずに外部のデモに出場。
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たぶん会場の様子から競技会だと思います。’99年の貴重な一枚。
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スローフォックストロットの一コマ。A.シンキンソンの振付。
このコーナーでは思い出の写真と共に、エピソードなどをご紹介して行こうと思います。
まず第1回目はこの写真です。この写真は私の大好きな1枚です。
場所は今では懐かしいワールドダンスホールで、たぶん1995年~1996年頃だと思います。
ワールドはダンス用のホールなので燕尾服とドレスがとても良く合う、
踊って気分の乗る会場でした。
この時、私達はスタンダードA級で競技会名はわかりませんが、踊っている種目は
スローフォックストロット、たぶんチェンジ・オブ・ダイレクションの一コマだと思います。
このオーストリッチのいっぱい付いたブルーのドレスは、
私のもっともお気に入りのドレスでした。
このホールで勝ったり、負けたり幾多の競技に出場し、又選手会や教師協会のパーティーなど
たくさんの思い出を作りました。
実はこの写真を失くしてしまったのですが、生徒さんがコピーを持っていてくれて、
これはコピーのコピーです。
だから少し目が粗いのですが、それがかえってワールドのレトロな感じ、天井の高さや
フロアに映るドレスの影など、まるで一幅の絵のような感じを醸し出して
私の大好きな、懐かしい「思い出の一枚」です。
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